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アイテム
中世的社会の形成 : 集落・墓地・流通・開発からみた中世前期の社会
https://doi.org/10.24795/24201o023
https://doi.org/10.24795/24201o0235c094caa-f602-4a1d-ba48-e031bc1a85cd
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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全文
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要旨
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Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertati(1) | |||||||
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公開日 | 2016-11-10 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 中世的社会の形成 : 集落・墓地・流通・開発からみた中世前期の社会 | |||||||
言語 | ja | |||||||
その他のタイトル | ||||||||
その他のタイトル | The formation of medieval society: The Early Middle Ages as seen from human settlement, cemetery, distribution and development | |||||||
言語 | en | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_db06 | |||||||
資源タイプ | doctoral thesis | |||||||
ID登録 | ||||||||
ID登録 | 10.24795/24201o023 | |||||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||||
著者 |
橘田, 正徳
× 橘田, 正徳
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学位名 | ||||||||
言語 | ja | |||||||
学位名 | 博士(学術) | |||||||
学位授与機関 | ||||||||
言語 | ja | |||||||
学位授与機関名 | 滋賀県立大学 | |||||||
学位授与年月日 | ||||||||
学位授与年月日 | 2014-03-20 | |||||||
学位授与番号 | ||||||||
学位授与番号 | 乙第23号 | |||||||
内容記述 | ||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||
内容記述 | 人文論第14号 | |||||||
言語 | ja | |||||||
内容記述 | ||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||
内容記述 | 本論は、集落・墓地および流通構造等について横断的に検討した上で、考古学的視点からみえる中世的社会の基礎構造とその特質を考えることを目的とした。 第1部では、集落と居館について検討する。 古代から中世の集落について、地理学上の分類を参考に0類(散村)・1類(疎塊村)・2類(集村)に分類し、これに時期区分を加えて、集落形態の変遷を概観した。この結果、古代後期0類が激減する11世紀後半に、中世前期1類と2類が一つの荘園で同時に出現することが明らかになった。このうち、中世前期1類の形成過程は西日本で共通し、12世紀に踏襲されることから背後に国衙が関与する規範があると考えた。その上で、11世紀後半における中世的集落の出現とは、人的支配に基づく国衙領と荘園の領域区分を目的としたものであり、この過程を経て成立した荘園を考古学上の領域型荘園と規定した。 次に、それぞれの居館を出現時期毎に区分し、集落との関連性を検討した。そして、居館は古代荘園・御厨の施設を改変して11 世紀後半に出現すること、12 世紀に出現する居館は集落が形成した後にその外周に出現し、集落との関係は希薄であることを指摘する。また、中世前期の居館を荘園の管理施設を兼ねた荘官の屋敷とし、居館の多様な形態は荘官の職能性が反映されると考えた。 第2部では、中世的流通の基礎構造とその成立過程を検討する。 はじめに、庄本遺跡(大阪府豊中市)とその周辺の様相を検討し、流通拠点を中心に周辺の集落を末端とする流通構造が展開することを示す。 次に、搬入供膳具を商職人の携行品と位置付けた上で、中世前期の流通拠点と見なされた遺跡が初期集村(中世前期2類)を呈することに着目して、大阪府と岡山県南部の流通拠点を検討する。その結果、河尻が瀬戸内水運の東極となる一方で、河内江域や足守川中流域の流通拠点は広域流通網とあまり連接しないことを明らかにする。また、これらの流通拠点は荘園を単位に分布することから、荘園への物資供給を主たる目的として存立すると考えた。 さらに、古代の流通拠点である上津島遺跡群(大阪府豊中市)の変遷を紹介した上で、この地域の古代史料を分析し、難波津が三国川河口にあって、豊中市南部以外に展開する可能性がないことを説明する。そして、古代「河尻」に比定される上津島遺跡群が、難波津になると推定した。また、難波津が古代「河尻」に移行する10世紀に搬入供膳具が急増する要因を、地域間流通に対する国家統制の弛緩に求めた上で、11世紀後半に広域流通網と荘園内流通網が連接することで、中世的流通の基礎構造が成立すると見通した。 第3部では、中世前期の墓制を検討する。 各地で発見された中世前期の墳墓群を分類した結果、この時期の墓地とは墳墓群と広大な空白地帯からなることを確認する。その上で、墓地形態の変遷に空白地帯が次第に制約される傾向を見出し、その要因を耕地・集落域の拡大に求めた。そして、集村化にみる耕地集約化の過程で、相対的に生産性の乏しい丘陵斜面などへ移設されることで、中世後期に継続する集団墓地が出現すると考えた。 屋敷墓について、建物群との同時期性を証明した上で、形態分類を行う。この分類をもとに、家屋に対する所有観が反映された屋敷墓Ⅰ類から敷地を重視する屋敷墓Ⅱ類へ、そして中世的「家」の成立を体現した屋敷墓Ⅳ類の出現にいたる過程を示した。なお、屋敷墓Ⅳ類にみる列状配置は、中世後期に継続する集団墓地にも踏襲されることから、中世的「家」は13世紀後半までに村落でも普遍化すると指摘した。 第4部では、垂水西牧榎坂郷西部の様相を、『今西家文書』も加えて検討する。 まず、榎坂郷西部の集落のうち、小曽根村集落・服部村集落・住吉市庭は11世紀後半に形成することなどを指摘する。また、「畠ノ外」として扱われた住吉市庭は集村で、榎坂郷では異なる形態の集落が同時に出現することを明らかにした。これに、隣接する垂水荘との境界が長治元年(1104)に確定することを加えて、垂水西牧は史料に初見する11世紀後半に領域型荘園となっていたと考えた。 次に、小曽根村集落と服部村集落の集落拡大過程や集村化、灌漑体系などについて検討した上で、集村化と大型水路の整備が同時に行われる13世紀後半に、春日神社と荘民が激しく対立することに着目する。この事態をもとに、13世紀 後半に起きた荘園景観の変容とは、生産性の向上を期待する荘民の内在的欲求と勧農による収奪強化を目論む荘園領主の戦略が複合することで実現したと見通した。 最後に、集落・墓制・流通・開発などのあり方から、中世前期の諸現象には同心円的な空間構造とそれを拡大する行動様式が潜在することを見出す。そして、このような空間構造が中世的な特質となる契機を、領域型荘園の立荘に伴う地域編成に求めた。また、第1・2次産業従事者と第2・3次産業従事者の住み分けも、この地域編成に起因することから、中世的社会とは領域型荘園の立荘によって成立すると考え、中世を「荘園の時代」と結論した。 |
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言語 | ja | |||||||
著者版フラグ | ||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||
アクセス権 | ||||||||
アクセス権 | open access | |||||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 |