{"created":"2024-07-30T02:25:04.417850+00:00","id":2000471,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"14f802cf-546a-4c10-bb60-5aa04719fac5"},"_deposit":{"created_by":11,"id":"2000471","owner":"11","owners":[11],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"2000471"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:usp.repo.nii.ac.jp:02000471","sets":["1719211153612:1719211542651"]},"author_link":[],"item_1617186331708":{"attribute_name":"タイトル","attribute_value_mlt":[{"subitem_title":"中世的社会の形成 : 集落・墓地・流通・開発からみた中世前期の社会","subitem_title_language":"ja"}]},"item_1617186385884":{"attribute_name":"その他のタイトル","attribute_value_mlt":[{"subitem_alternative_title":"The formation of medieval society: The Early Middle Ages as seen from human settlement, cemetery, distribution and development","subitem_alternative_title_language":"en"}]},"item_1617186419668":{"attribute_name":"著者","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"橘田, 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次に、搬入供膳具を商職人の携行品と位置付けた上で、中世前期の流通拠点と見なされた遺跡が初期集村(中世前期2類)を呈することに着目して、大阪府と岡山県南部の流通拠点を検討する。その結果、河尻が瀬戸内水運の東極となる一方で、河内江域や足守川中流域の流通拠点は広域流通網とあまり連接しないことを明らかにする。また、これらの流通拠点は荘園を単位に分布することから、荘園への物資供給を主たる目的として存立すると考えた。 \n さらに、古代の流通拠点である上津島遺跡群(大阪府豊中市)の変遷を紹介した上で、この地域の古代史料を分析し、難波津が三国川河口にあって、豊中市南部以外に展開する可能性がないことを説明する。そして、古代「河尻」に比定される上津島遺跡群が、難波津になると推定した。また、難波津が古代「河尻」に移行する10世紀に搬入供膳具が急増する要因を、地域間流通に対する国家統制の弛緩に求めた上で、11世紀後半に広域流通網と荘園内流通網が連接することで、中世的流通の基礎構造が成立すると見通した。 \n 第3部では、中世前期の墓制を検討する。 \n 各地で発見された中世前期の墳墓群を分類した結果、この時期の墓地とは墳墓群と広大な空白地帯からなることを確認する。その上で、墓地形態の変遷に空白地帯が次第に制約される傾向を見出し、その要因を耕地・集落域の拡大に求めた。そして、集村化にみる耕地集約化の過程で、相対的に生産性の乏しい丘陵斜面などへ移設されることで、中世後期に継続する集団墓地が出現すると考えた。 \n 屋敷墓について、建物群との同時期性を証明した上で、形態分類を行う。この分類をもとに、家屋に対する所有観が反映された屋敷墓Ⅰ類から敷地を重視する屋敷墓Ⅱ類へ、そして中世的「家」の成立を体現した屋敷墓Ⅳ類の出現にいたる過程を示した。なお、屋敷墓Ⅳ類にみる列状配置は、中世後期に継続する集団墓地にも踏襲されることから、中世的「家」は13世紀後半までに村落でも普遍化すると指摘した。 \n 第4部では、垂水西牧榎坂郷西部の様相を、『今西家文書』も加えて検討する。 \n まず、榎坂郷西部の集落のうち、小曽根村集落・服部村集落・住吉市庭は11世紀後半に形成することなどを指摘する。また、「畠ノ外」として扱われた住吉市庭は集村で、榎坂郷では異なる形態の集落が同時に出現することを明らかにした。これに、隣接する垂水荘との境界が長治元年(1104)に確定することを加えて、垂水西牧は史料に初見する11世紀後半に領域型荘園となっていたと考えた。 \n 次に、小曽根村集落と服部村集落の集落拡大過程や集村化、灌漑体系などについて検討した上で、集村化と大型水路の整備が同時に行われる13世紀後半に、春日神社と荘民が激しく対立することに着目する。この事態をもとに、13世紀\n後半に起きた荘園景観の変容とは、生産性の向上を期待する荘民の内在的欲求と勧農による収奪強化を目論む荘園領主の戦略が複合することで実現したと見通した。 \n 最後に、集落・墓制・流通・開発などのあり方から、中世前期の諸現象には同心円的な空間構造とそれを拡大する行動様式が潜在することを見出す。そして、このような空間構造が中世的な特質となる契機を、領域型荘園の立荘に伴う地域編成に求めた。また、第1・2次産業従事者と第2・3次産業従事者の住み分けも、この地域編成に起因することから、中世的社会とは領域型荘園の立荘によって成立すると考え、中世を「荘園の時代」と結論した。","subitem_description_language":"ja","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_1617186702042":{"attribute_name":"言語","attribute_value_mlt":[{"subitem_language":"jpn"}]},"item_1617265215918":{"attribute_name":"著者版フラグ","attribute_value_mlt":[{"subitem_version_resource":"http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85","subitem_version_type":"VoR"}]},"item_1617604990215":{"attribute_name":"File","attribute_type":"file","attribute_value_mlt":[{"accessrole":"open_access","date":[{"dateType":"Available"}],"filename":"24201o023_zenbun.pdf","format":"application/pdf","mimetype":"application/pdf","url":{"label":"全文","objectType":"fulltext","url":"https://usp.repo.nii.ac.jp/record/2000471/files/24201o023_zenbun.pdf"},"version_id":"64d80c07-f42c-4f9e-8b72-e438f52a2cfb"},{"accessrole":"open_access","date":[{"dateType":"Available"}],"filename":"24201o023_yoshi.pdf","format":"application/pdf","mimetype":"application/pdf","url":{"label":"要旨","objectType":"summary","url":"https://usp.repo.nii.ac.jp/record/2000471/files/24201o023_yoshi.pdf"},"version_id":"668d8a26-1cbc-4847-a303-e165c9885944"}]},"item_1623818042585":{"attribute_name":"Identifier 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