{"created":"2024-07-30T02:25:25.023607+00:00","id":2000485,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"401b21f6-da57-46cb-b648-c5a5bfa70b27"},"_deposit":{"created_by":11,"id":"2000485","owner":"11","owners":[11],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"2000485"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:usp.repo.nii.ac.jp:02000485","sets":["1719211153612:1719211542651"]},"author_link":[],"item_1617186331708":{"attribute_name":"タイトル","attribute_value_mlt":[{"subitem_title":"内モンゴルにおける家畜品種改良事業と近代日本 : 羊の品種改良を中心に","subitem_title_language":"ja"}]},"item_1617186385884":{"attribute_name":"その他のタイトル","attribute_value_mlt":[{"subitem_alternative_title":"Improvement of livestock breeds in Inner Mongolia and modern Japan: Focusing on the improvement of sheep breeds","subitem_alternative_title_language":"en"}]},"item_1617186419668":{"attribute_name":"著者","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"包, 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世紀初頭に実施した「新政」により、農耕民の入植は東部内モンゴルの各旗まで広がっていった。漢人農耕民の入植を受けて伝統的な牧畜業が衰退し、20 世紀初頭ころになると、定住と半農半牧的なモンゴル人農耕村落社会が広範囲にわたって形成された。 つまり、この時期において東部内モンゴルはすでに伝統的な遊牧社会ではなく、放牧のスタイルは依然放飼いであるものの、放牧地の空間は狭まり、村落を中心とする定住型の牧畜に移行しつつあった。なお、牧畜の衰退と同時に増加した農業の比重がこの地域に半農半牧的な生業を定着させ、農産物からもたらされる各種の副産物は定住型牧畜を促進するうえで積極的な役割を果たした。このことは満鉄が行った畜舎式の品種改良事業と整合性がよく、家畜品種改良事業が短期間で一定の成果をあげた主な要因であった。 満洲国建国以前において満鉄は「黒山頭種羊場」(1921)、「沙里種羊場」(1924)、「公主嶺仮種羊場」(1929)など三つの緬羊品種改良施設をつくり、羊毛を目的として育成されたメリノー種羊をもってモンゴル種羊の品種改良を行い、「育種」から「繫殖」まで展開され、一定の成果をあげた。満洲国設立以後、モンゴル種羊の品種改良事業は実践段階に入り、第二次世界大戦の終戦までまさに羊毛をめぐる日本の「生命線」としての使命を背負って展開されたのである。一方、戦後の複雑な日中関係によって満鉄の品種改良事業の遺産は内モンゴルでその姿が隠され、戦後の内モンゴルで行われた家畜品種改良事業との接点も見えなくなったのである。 本論文は、このような問題意識をもって東部内モンゴルにおける日本の家畜品種改良事業に関わる満鉄や満洲国の関連資(史)料、および中国語の関連資料を中心に利用して、モンゴルの畜産資源に興味をもち始めた明治期から第二次世界大戦の終戦までの間に、東部内モンゴルで行った羊の品種改良事業の歴史的経緯を検討した。 本論文は 6 章から構成されているが、その内容はつぎの 4 段階に分けることができる。第一段階としては、「満蒙」進出以前の近代日本の大陸拡張のなかで求められた羊毛の需要からモンゴルの畜産資源が視野に入った経緯を取り上げた。第二段階としては、日露戦争から「満洲事変」までの間に東部内モンゴルで行ったモンゴル在来種羊とメリノー種羊の品種改良実験について考察している。第三段階としては、「満洲事変」以後から終戦までの間に行われた満鉄の家畜品種改良事業の普及に関して考察している。第四段階としては、満鉄が東部内モンゴルで行っていた家畜品種改良事業の遺産が戦後の内モンゴルでどのように引き継がれたのかについて検討している。","subitem_description_language":"ja","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_1617186702042":{"attribute_name":"言語","attribute_value_mlt":[{"subitem_language":"jpn"}]},"item_1617265215918":{"attribute_name":"著者版フラグ","attribute_value_mlt":[{"subitem_version_resource":"http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85","subitem_version_type":"VoR"}]},"item_1617604990215":{"attribute_name":"File","attribute_type":"file","attribute_value_mlt":[{"accessrole":"open_access","date":[{"dateType":"Available"}],"filename":"24201k128_yoshi.pdf","format":"application/pdf","mimetype":"application/pdf","url":{"label":"要旨","objectType":"summary","url":"https://usp.repo.nii.ac.jp/record/2000485/files/24201k128_yoshi.pdf"},"version_id":"e084882d-77be-4237-b16c-1f96307bb60e"},{"accessrole":"open_access","date":[{"dateType":"Available"}],"filename":"24201k128_shinsakekka.pdf","format":"application/pdf","mimetype":"application/pdf","url":{"label":"審査結果","objectType":"abstract","url":"https://usp.repo.nii.ac.jp/record/2000485/files/24201k128_shinsakekka.pdf"},"version_id":"916b5c3e-e57a-4e75-a997-ddb3ae0e52bd"}]},"item_1623818042585":{"attribute_name":"Identifier 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